MONTAGUE SQUARE
(モンタギュースクエア)
パスポート発行の手続きをして、 Buckingham Palace でおのぼりさんした日は早めに帰って来た。夕方4時前だったか、部屋で洗濯物をたたんだり荷物の整理をしたりしていると、 Mercia が部屋の外から
「Hello」
「Yes?」
彼女は私の名前が覚えにくいと言って、呼ぶ時は、hello ですます。
「そんなところに一人でいないで、上にいらっしゃい。一緒にテレビでも見ましょう」と言って手をポンポン。
めげてるかも知れないと思って、気を使ってくれてるンだ。フッと気持ちがやわらかくなる。めげてはいないし、もう気持ちは落ち着いている。でもMercia とおしゃべりしたくて、行くことにする。
Yoko からの電話を受けるにも、上の方が便利。広いリビングへ入ると彼女はテレビのすぐ前のソファで、お皿を手に何かモゴモゴ食べている。
「ハーイ」
「お昼食べ損なって、ね。どうぞ、お好きなところへかけて」
私は、少し離れたところのソファに座る。テレビではコソボ紛争関連のニュースをやっていた。
国連軍がコソボ地域に介入した画面が出ると、これには反対だったらしい彼女は、Oh,no とか、
いちいち私を振り返って相槌を求めたり、肩をすくめたりして怒っていた。
「あなたどう思う? UN(国連)はこんなことすべきじゃなかったのよ」
「そうね」
でもあの地域の複雑な歴史的事情、宗教などを考慮すればどうしたら一番よかったのか、は私には正直わからない。何より普通の善良な市民、特に、子どもたちが巻き添えを食うのは許せない。
それより私は、そんな Mercia がちょっと意外。
聞けば彼女は高校の教師だったそう。教科は政治学。
(そりゃ、こういうことに関心があるわけだ)
食べ終わった彼女が、「はぁ、人心地がついたわ」てなこと言いながら皿を持ってキチンへ行った。
何だかくつろいだ気分になって(今、思えば、Mercia が私を自然にくつろがせてくれたのだった) 靴を脱いでソファに横になった。私はソファに横になるの、大好き人間である。
少し肌寒いので、そばにあったチェック模様のひざ掛け毛布を借りた。薄暗くなりかけた外。ここはとても静かなところだ。外を歩いている人も、ときたましか見かけない。それもきちんとスーツを着たり、コートを着た人ばかり。ロンドンの人たちは身なりがきちんとしていて気持ちがいい。この通りには旅行者はもちろん、日本人も通らない。
手に飲み物を持って Mercia が入ってくる。 ン?横になってちゃまずいかな? と思って起き上がろうとしたら、彼女はさっと手で私を制し、そのままでという身振り。
私はまた横になる。クッションを枕に、なんだか自分の実家にいるような気分すらしてくる。
この時のことは、今でも何度も思い出す。あのくつろいだ私の気分は、信じられないほどだった。このフラットへ来て、そして Mercia に会ってまだ2日目だというのに。
Mercia のフラットのキチンの外のベランダ。
ピンクのゼラニウムがきれい。
モーツァルトお好き?
この文化圏の人たちは、変に遠慮などしなくてもいい。それがいい。自分のうちに受け入れたら、もう家族の一員のようにくつろがせてくれる。客に気を使わせない秘訣は、「あるじ」がまず気を使わないことだ。
Mercia が先ほど何か食べていたが、日本でなら、きっと私に何かをすすめただろう。ロンドン、というか欧米の人たちはそんなことは、しない。
彼女は私に宿泊と朝食をサービスすればいいわけなのだから。
私は気楽に自分がしたいようにしていた。
そういう関係は大いに私好み。
もとのソファに座ると、 Merciaがチャンネルを変えた。
音楽番組だった。
ええ、大好きです。
「私たちね、ここを引っ越そうかとも思ったことあるの。でもここロンドンの中心なのに、とても静かでしょ。それに何かと便利だし。年取ると生活が便利って大事なことなのよ。Colin もあと半年くらいで歯科医をリタイアする予定だし。彼、ずっと足が痛むのよ」
「明日のお昼はね。昔の教師時代の同窓会があるの。南ロンドンで。私の生まれたところあたりでね。5、6人で会うのだけど、なつかしいわ」
その時、タイミングよく、Yoko から電話。
Mercia は電話の子機を渡してくれて
「どうぞごゆっくり」
「どうですか? 元気で楽しんでいますか」
少しハスキーなYoko の声。
「ウン、 Buckingham 宮殿へ行ってね・・・・・」
ひとしきり、おしゃべりした後、
「ところで Yoko ちゃん、明日の予定は?」
「ないよ」
「じゃ、私、あなたのところへ遊びに行ってもいい?」
「あ、キテキテ。この辺を歩いてみようよ。ガーデン・ウォッチングしよう。それにクィーンズ・パークで、リスにピーナッツをやろう。手から食べるの。かわいいよ」
「その後で、Mercia のうちのこの部屋も見にきてね」
「ウン、どうがんばったって、そういうところへ泊まるなんてできないんだから、Hisayo さんついてるよ。こういう旅がしたかったぁっていう旅になりそうじゃん」
心の中で答える。
(そうなのよ、あるひとつのコトを除いたら、ネ)
ていねいに地下鉄の道順を教えてくれる。私は笑っちゃうほどの方向音痴。
Marble Arch から Central Line の Oxford で乗り換え、Bakerloo Line に乗って Queen's Park で下りる。Harvest Road へは、左へ行って十字路をまた左。
「右側に Queen's Park が見えてくるから、フラットの番号をよく見ていてね。私の部屋は2階でその通りに面しているから、外を見ていて、Hisayo さんを見たら窓をコンコン、と
たたくから。ロミオとジュリエットみたいに、ね。あっはっはぁ」
だぁれがジュリエットだって?
「じゃ明日ね。バイバイ」
Mercia は、あら、あなたたちもバイバイって言うのね、と笑った。なぁんにもわからなかったけど、そこだけわかったって。
電話機を返すと、彼女が言った。
「So you feel much better today than yesterday.
(今日は、昨日よりずいぶん気分がいいようね)」とにっこり。
ハイ、ありがとう。こういう時におかげさまで、と言うのよね。
彼女の笑顔がとても好き。
ノートに Mercia のフラットの住所と電話番号を書いてもらう。
のぞきこんで、
“Wow”.
Montague Square !
モンタギュースクエアですって?
なんて素敵なロンドンっぽい地名でしょう。