『フォリーベルジェールの酒場にて』
最初の文に、飛行機を見て「飛びたい」と書いた。それはほんとうだが、ロンドンへ行くなら、絶対これだけはしたい、ということも実は多かった。
その一つに「美術館めぐり」があった。
私は昨年秋までの3年間、地域の公民館で、ある自主グループに入っていた。『ロココの会』といって、毎月1回、西洋美術史を学ぶ会である。講師は現役の高校の美術教師。
彼女が2時間、コピーした資料や、テキスト、スライドでギリシア、ローマから、ビザンティン、ルネサンス、バロック、近代へと講義をすすめていくのだ。
絵は物心がついた頃から、好きだった。一人で遊んでいるときには必ず何かを紙に描いていた。マンガっぽいものが多かった。
中学時代は美術クラブだった。放課後、仲間と水彩画を描くのは楽しかった。無邪気に風景や、静物画、人物などを描きたくて描いていただけだった。
転機というほどではないが、私の心にちょっとした変化があったのは、2年の夏の写生合宿だった。夕食後、生徒が描いた絵の講評をする時間の時のことだった。
クラブの顧問でもあった、校長先生が、一人ずつ講評していった。彼は、個展なども開く、ほとんどプロの画家と言ってもいいほどの人だったそうだ。(もちろん、その頃の私はよく知らなかったが)。
その校長先生が、順々にコメントしていって、ある下級生の描いた絵の前に来たときだ。
「この石の白と、バックの黒っぽい壁の色の対比がうまい」とか、
「今日の一番だ」とか、かなり長い時間をかけて、力を入れて誉めたのだ。
「なぁ、みんなもそう思うだろう?」。
まわりのみんなは、ほんと、上手、すごいね、とうなづきあっていた。ほんとね、と言いながらも、私にはどうしても、それほどにうまい絵だとは思えなかった。
今思えば、その「ほめことば」と、ふだんそう目立ちもしなかったその下級生に「嫉妬した」というのが、本当のところなのだろう。気持ちを切り替えるなんて不器用な私にはできなかった。
その夏以来、私はだんだん絵を描くことが、楽しめなくなっていった。
あの校長先生に、うまいと言われる絵を描きたい、誉められる絵を・・・と、どこかで思っている自分に気がついてしまった。どう描けば「うまい」とほめられるのだろう、と思いながら絵の具を混ぜている自分がいた。
もはや自分がこれでよし、と思える絵は完成しなくなった。
実のところ、私は絵が下手ではなかった。郡や県、全国大会でもよく入選したり、特選になって、小さな盾や賞状をかなりもらっていた。私は絵を描くのが好きなだけだった。放課後、友人たちとワイワイ言いながら、対象を決め、配色や構図を自分なりに考えながら、楽しんで描いていた。その絵の中のいくつかを、顧問の教師がどこかの展覧会へ応募して、その結果だけを知らされていたわけで、私はどの絵がどの賞をもらったのか、よくわからなかった。
そういうことは、どうでもよかったような気がする。
写生合宿以来、私は絵を描くことが楽しめなくなり、クラブから遠のいた。することがなくてさびしいので、軟式テニスのクラブに入ってしまった。
一度、その校長先生に呼び出されたことがあった。
「なぜ絵を描かなくなったのか」とたずねられた。
「楽しくないから」と答えると、彼は、
「絵は楽しいだけで、描くのではないよ」
情熱を失ったことに気持ちが動かないのは、今も変わらない。
絵はそのほろ苦い思い出とともに、二度と描きたいとは思わなくなった。
今も「絵は楽しいですよ。描きませんか」と誘われたりするが、どうしても描く気になれない臆病な私だ。
だが、見ることは別だった。
友人に誘われて入った『ロココの会』の講義は、どんどん楽しくなった。絵のちょっとしたエピソードも面白い。
時代背景、その時代の人々の暮らし、文化、歴史、宗教、政治の中で描かれたそれぞれの絵。画家たちが、命をけずって描いたり創り上げたりした芸術作品。それらから何かのメッセージを私なりに受け取れるのも快かった。
何となくひかれていた絵も、好みの絵もだんだんと変わっていった。小さな絵葉書やスライドでなく、実物を見るということで、得られる感動とぜいたくを知った。
そんなころの Londonであった。
London には、British Museum (大英博物館)あり、ナショナルギャラリーあり、テートギャラリーあり、コートールド美術館や、ほかにもいっぱい。旅の大きな目的の一つには絵を鑑賞するということがあったのだ。
ご多分に漏れず、印象派は大好き。これは、どうしてもはずせない。
「ここでの必見」というメモも作って行った。
大英博物館は入場無料なので、少しばかり、 donation (寄付)をして。
まず正面の破風。アッシリアの「人頭有翼雄牛」と、絶対見たかった「ロゼッタストーン」 これを解読する苦労については有名な話があるんだよね。
ナショナルギャラリーではモネの「睡蓮」や、ルノアールの「雨傘」 スーラの「アニエールの水浴」 ゴッホの「ひまわり」 好きなシスレーも思いがけずいくつか。ピカソの「鳩を抱くこども」 一番好きな画家、フェルメールのものも見つけた。
実はここへは2度行った。
Gwen John の『黒猫を抱いた若い婦人の肖像』
テートギャラリーではミレイの「オフィーリア」 ロセッティの「プロセルピナ」。そして印象派の絵を思う存分楽しんだ。どこへ行っても必ずあるかしらと確認するのは、レンブラントとフェルメール。
ここでは、特設展示をやっていて、見ているうちに思いがけず、その人の絵がとても気に入った。グェン・ジョンという女性画家。「自画像」と、「黒猫を抱いた若い婦人の肖像」は絵葉書を買い求めたが、この人の一連の絵は、見ていると気持ちが普段着を着たような感じで、落ち着き、すーっと心に素直に入ってくる感じがした。絵の持つ雰囲気と色使いは、私好みだ。
コートールド美術館では、マネの「フォリー・ベルジェールの酒場にて」。この絵になぜこれほど惹かれたのか、よくわからない。でもこの絵の前では、立ち去りがたく、行ったり来たりを繰り返し、座って眺め、立ってはすがめ。この女性の、憂いを含んだような目つきと、けだるそうな表情が忘れられない。
とうとう黒人の警備のおっちゃんが、首を振りながら寄ってきた。
「マダム、この絵が気に入ったみたいだね」
「ええ、とても」
「そりゃ、よかった。わしもこれは好きだよ」
「毎日これが見られていいですね」
「毎日、見はしないよ」 だろうね。
マネの『フォリーベルジェールの酒場にて』 とても大きな作品である。
どうしても見たかったし、これを見るのが夢だった。だからじっくりと見たい。目の裏に焼き付けたい。
そしてもう一つマネの「花瓶の花」 これはここで見ていっぺんに好きになった。多分、静物画では最も好きだろう。淡いやさしい花の美しさ。微妙に、アンバランスな構図。
もう一つ忘れてならないのは、かの有名な「草上の昼食」 耳を切った後の、ゴッホの自画像も、とても迫力があった。
ウォーレス・コレクションでは、フラゴナールの「ぶらんこ」 ここは最後に滞在した Rosecourt Hotel から近かったので、10分ほどで歩いて行けた。
ロココの画家、フラゴナールの『ブランコ』
美術館ではないが、「マダム・タッソーロウ人形館」も特筆に価する。£10も決して高くはないと思う。ガイドブックに何時間も待たねば入れないこともある、と書いてあったが、その日はウィークデイだったし、朝も早かったので、並びもせず、すんなりと入れた。
あの有名人、この有名人。(映画大好き人間の私としては、ハリウッドスターたちとは、一緒に写真を撮らずにおられません)
ショーン・コネリー、ブラッド・ピット、ピアース・ブロスナン、エリザベス・テーラー、メル・ギブソン、ハリソン・フォード、アーノルド・シュワルツェネガー、シルベスタ・スタローン、マリリン・モンロー、ジェームス・ディーンも、カッコつけて立っていましたよ。
あ、そうそう、ビートルズや、チャップリン、クリントン元大統領も。
そして、エリザベス女王率いる王室の集団から、かなり離れたところで一人、凛と立っていたダイアナ元王妃。生前に着用した真っ白なドレスを着て、口を開けて見とれるほど、美しかった。
“うまいことつくるもんだ”。
吉田茂さんとは、一応ピースサインで並んだ。
でもロウ人形なので、照明が明るいと、どうしてもアラが見えてしまうから、館内は薄暗く、ほの明かりの中で見るようになっていた。
それにしても、ここにオードリー・ヘップバーンは、なぜいないのだ?
誰か知っていたら、ぜひ教えてください。
マダムタソーロウ人形博物館。マリリン・モンローとジェームズ・ディーン。
思えば私は、これまで美術に関しては、かなりいいものを見てきた。ロシアのエルミタージュ美術館、アメリカのメトロポリタン美術館、ボストン美術館、ワシントンのナショナルギャラリー、イタリアのウフィツィ美術館、そしてクリムトのあの金ぴかの絵「接吻」なども、ウィーンのヴェルベデーレ宮殿で見ている。
心の財産を増やしていってると思う。
それと多少(と言うか、かなり)ミーハーなところのある私は、ミュージアムショップが大好き。ちょっと気のきいたおみやげも選べるし、そのMuseum のガイドブックや袋、絵葉書、ボールペンなどのステイショナリーグッズは、そこでしか手に入らない。
何よりその中のカフェの食事は、大体ハズレがない。どれもおいしくてお薦め。気に入ったものをトレーにとって、会計を済ませ、空いた席へ座る。
ゆっくりと疲れた「足」と「目」を休めた後は、少しうたたねまでしちゃう。
何より、ここならトイレをさがしまわらなくてもいい、という安心感。
リストをチェックして、見忘れたものがあれば、
もう一度まわることもできる。