WEEKLY TRAVEL CARD (ウィークリートラベルカード)
次の日の朝、私は大きなスーツケースを持ってえんやこらさ、と Joy の家に引っ越した。やっとたどり着いて、ドアの前でカギをガチャガチャやっていたら、中にいた彼女が見かねて開けてくれた。Thank you, Joy.
「ほ〜ら、うそじゃなかったよ、Yokoちゃん」
場面がマンガなら、ふきだしに入ることば。
「ハロー、いらっしゃい」 私の重い荷物をゆっくりと、2階に運んでくれながら、
「あなた、今日はこれからどうなさるの?」
「まず大英博物館に行こうと思っています。夢でした。見たいものがいっぱい」
それに今日、明日のうちに、私はまた次の「ネグラ」をさがさなくてはならない。
「いいこと。あなたのようにしばらく London にいる人は、weekly travel card を買うといいわ。それがあればバスでも、地下鉄でも1週間乗り放題よ。いちいち、小銭を出したり両替したりしなくてすむから、とても重宝するわ。
そうなの、まだあと12日もロンドンにいるのね」
出て行きながら、彼女が小さくヒトリゴトを言うのが聞こえてしまった。
「ここを気に入ったのなら、カギを貸してあげて、ここに住んでもらっててもいいんだけれど。それか、私の友人にたのんであげてもいいけど……」
ウェストミンスター寺院。素敵です。
私は、忠告に従って Marble Arch の地下鉄の駅で写真を撮り、その weekly travel card を購入した。
と、一行で書けば、すんなりといったようだが、事実は、何度も聞きなおし、システムがわからず、悪戦苦闘。右の眉を吊り上げた女性の駅員にうんざり顔をされ、後ろに並んだ人には「長くなるなら後にしろよ」と、嫌味も言われ、冷や汗をかきながら、やっと手にしたのだ。窓口を離れたら、ホッとして途端におなかがすいた。そうまでして手に入れた価値は、しかし、充分にあったのだった。
滞在中の私のお昼は、マクドナルドや人が多く入っている通りがかりの Cafe で、食べたいものを注文した。「町を歩く人々」を見るのが、ランチのサカナ。みんな白人ばかりなので、見ていると、フッと、自分が何人だかわからなくなることもあった。ドイツ人の若い男性が、話しかけてきて、妻とここに住んでいるけれど、子どもを産むにはロンドンは物価が高くて生活してゆけそうにないんだ、なんてことを言っていた。
いい時間を過ごしたよ。ありがとう。滞在を楽しんでね、といい笑顔をくれた。
旅に出て、こうやってひとりでぼんやりしている時間がとても好き。一人の人間として、つまり私が私自身である時間を深く自覚できる。地球にはほんとにいろんな人が暮らしていて、それぞれの思いを抱いて、それぞれの生活を送っているんだって、たった、それだけ感じられることで、私は何だか満ちてくる。
駅の売店で小さなペットボトルの水やガム、チョコバー、オレンジなどを買う。夕食はスーパーで、フルーツサラダ(カップに生フルーツが小さく切って入っている。これが大好き)、サンドイッチ、りんご、ジュースを手に、勤め帰りの人たちの列に“すまして”並んだ。何の違和感もなく溶け込んで、誰も私を気にもしない。ジロジロ見られない、この居心地のよさ。
これらを Joy の部屋で紅茶を入れて、テレビのニュースやドラマを見ながら食べた。
すむと、ばたんとダブルベッドにひっくり返って、大の字。
この空間は私だけのもの。一呼吸ごとに、私は「自分」になっていく。
私は今、ここに一人の人間としてだけ存在する。知らず知らずの間についてきた余計な贅肉を殺ぎ落としてくれるような気がする。そして何が大切で、何を捨てていいのか、はっきりとわかるのもこんな、なにげないほんのちょっとした一瞬なのだ。
Joy の家のベッドルーム。とてもメルヘンチック。
ベッドの上のナイロン袋は私の夕食の買い物。
目をつむると、かすかに外のざわめき。
だれかが笑う声がする。
う〜ん、なんという解放感。
まだ宵の口のロンドン、誰も私が今ここにいることを知らない。
あ、そうだ。 Yoko が知ってたっけ。
その日の夜、Joy が私を呼んで言った。
「あのね、あなたのあさってからのことだけど、友達の Mercia に頼んであげたわ。あなたは6日間、彼女のところにステイできるのよ。でも彼女には一日£30、払ってあげてね。
その後の2、3日は、何とかできるでしょ。このあたりに安いホテルはいっぱいあるし。
明日あなたが出かける前に、Mercia のところへ行きましょう。紹介したいし、お部屋も見せてもらえるわ。
彼女は Colin っていう歯科医の夫と二人暮しなの。
(ここでにこっと笑って) よかったわね。
あ、そうそう。明日の朝は English style の朝食をご用意するわ。じゃ、おやすみなさい」
夜更け、真っ白なひろーいバスタブになみなみと湯をはり、足が端まで届かないので、ときどき足がすべる。
♪ドゥドゥッドゥッピドゥッドゥ・・・ブクブク・・・。
鼻歌が止まらない。